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仮(葬)-kari(sou)-
海浜あみだ湯では、解体された家屋の木材を引き受けボイラーで燃やし、水を温めている。約10年前ほど前からオトン(先代オーナー)が始めた運営形態である。過疎化が進んだこの地域では空き家が多くなり、解体される木造建築が増えたことから、このスタイルに移行したそうだ。そんな話しをオトンに聞きながら銭湯での作業していた2023年の初夏の朝、銭湯のすぐ向こうに見える海がキラキラと光っている。営業を始めるためにボイラーへ着火作業をする一歩手前、灰の中から黒光りする金属を収集していると、あるイメージが浮かんできた。建築廃材を燃やした後に残る金属を拾う作業は"まるで火葬後の収骨作業のようだな"と。「そうか、この銭湯は町を弔いながら水を温め、終わりに寄り添うことで地域に循環しているのか。」と、気づいた。当たり前のようだが、この木材一つ一つは元々誰かの住まいで、それぞれに物語があり、記憶が留められている。その考えに至ってからは、この記憶の重量を計り記録することに駆り立てられ続けている。2024年元日、その"気づき"は生々しい温度を伴って目の前に現れる。

2024年3月。新年からのバタバタを超えて、ふと我に変えると、何も無いことに気づく。それは、文字通り何も無い。ボイラーの火が、宙吊りになった現実と、からっぽの「生」を照らしていた。その浮遊感に抵抗するように、被災家屋を引き受けるプロジェクトを開始する。仮(葬)-kari(sou)-というプロジェクトは、公費解体された家屋や自主解体した木材や家財を、あみだ湯の燃料としながら、その思い出と共に記憶するプロジェクトである。始動してからは個人の方やボランティア団体、解体業者などを通じて木材が集まってきている。ここでは書き切れないほどの思いと共に、その重量を記録している。重量は6465,7kg(2024年)。きっとこの瞬間に聞いた話と、彼らの記憶は、私が残さなければどこにも残らない可能性がある。それを「覚えないようにする」ということは、「存在を否定する」ということ。これを「忘れる」ということは、「死を肯定すること」なのだと、日記を書き始めた中学生頃の自分が語りかける。底も見えない絶望と、無力感の深淵の中で、唯一できることはそれしかなかった。運ばれてきた木材とその思い、その人の物語を重量と共に記録し、この地域に留める事。悲しみに寄り添い、優しく丁寧に弔う。それが我々にとってもその人にとっても唯一の救いとなることを願い。
その存在を消さないために、死なないために。



















